南日本新聞2006年11月22日

島尾敏雄氏没後20年に寄せて(上)

思想と文学再考


「琉球弧とヤポネシア論」

   奄美・沖縄の島々や鹿児島に暮らし、ルーツを東北にもっていた島尾氏。氏の思想の根幹である「琉球弧とヤポネシア論」には異論がある。

氏の提唱する琉球弧(琉球文化圏=琉球王国圏)は、奄美と沖縄の島々のことだ。しかし、地理学での琉球弧(琉球列島)は種子、屋久や三島、トカラの島々をもふくんでいる。

縄文人や古代の隼人族からの視点はおくとして、たとえば中世、倭(やまと)国と南島の国家境界だった臥蛇(がじゃ)島などトカラ以北の島々も、琉球列島の歴史と文化を共有してきた。しかし島尾氏の琉球弧は、南島総体の歴史や文化概念ではなく、倭国対琉球王国という国家史観の概念であり、そのあわいにつらなる無国籍のちいさな島々には目が届いていない。

「ヤポネシア」

おおまかに、千島弧(蝦夷人)、本州弧(倭人)、琉球弧(南島人)を総称した日本島嶼群(ヤポネシア)という概念も、島尾氏オリジナルの造語である。

日米安保条約が結ばれた翌年にあたり、琉球弧論が世に出た年でもある一九六一年に発表されたヤポネシア論は、日本単一民族説に弓ひく思想として各層に受容されてきた。しかし、この概念は、近代の大日本帝国が蝦夷地や南島を併合してきた侵略の歴史を戦後においても踏襲しようとするあやうい思想である。

なぜなら、たとえば奄美群島が一六〇九年の島津氏の侵略以来、四百年間近く、“鹿児島圏下の植民地”であるように、北海道からカムチャッカ半島までつらなる千二百q(琉球列島とほぼ同じ)の千島弧も、琉球弧と同じく和人(シャモ)固有の領土ではなく、明治時代の日本国が侵略し併合してきた先住アイヌ民族の島々だからだ。

「琉球弧とヤポネシア」―そのひびきは心地いい。しかしその底流には日本列島の南北を洗う島々を侵略してきた歴史がある。いわば、日本人の歴史認識がうずまいている。

明治以降、北海道、琉球、台湾、半島、大陸、東南アジア、南洋諸島などを侵略しつづけた日本人。鹿児島圏下に生きる現代の私たちも、日米の戦後体制に登場した島尾版「琉球弧とヤポネシア」をとおして、日本国内の歴史認識を再考する機会としたい。          

 

(二〇〇六年十一月九日脱稿)新聞写真